◆Siouxsie And The Banshees(スージー・アンド・ザ・バンシーズ)1977年のライヴ・シーンがプリントされたバンドTシャツ。UKインポート オフィシャル品
ゴシック・ロックの象徴として今なお高い人気を誇るイギリスのロックバンド、Siouxsie And The Banshees(スージー・アンド・ザ・バンシーズ)。1977年のライブ風景が撮影された写真とバンド名がデザインされたTシャツを入荷!
Siouxsie Sioux(スージー・スー)と Steven Severin(スティーブン・セヴェリン)は1975年9月のロキシー・ミュージックのコンサートで出会った。グラムロックが衰退し、彼らが共感できる新しい音楽が何も生まれていなかった時期だった。1976年2月から、スージー、セヴェリンと数人の友人は、セックス・ピストルズの追っかけを始める。セックス・ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンが主催する「100クラブ・パンク・フェスティバル」に出演予定だったバンドの一つが、直前に出演を取りやめるという知らせを受けたスージーは、バンド名も追加メンバーも決まっていなかったにもかかわらず、セヴェリンに出演を提案した。2日後、2人は1976年9月20日にロンドンで開催されたフェスティバルに出演。ギターとドラムにそれぞれ、マルコ・ピローニとシド・ヴィシャス(!)の2人のミュージシャンを借り、キリスト教の最も代表的な祈祷文(主祷文)である「「主の祈り(Lord's Prayer)」をベースにした20分間の即興演奏を行った。これがスージー・アンド・ザ・バンシーズの始まりである。バンドはこのギグの後に解散するつもりだったが、再び演奏を依頼される。その後数ヶ月かけて、スージーとセヴェリンはドラマーのケニー・モリスとギタリストのピーター・フェントンをメンバーに加えた。1977年初頭に数回ギグを行った後、フェントンに代わってジョン・マッケイがギターを担当。このTシャツの写真は、ちょうどこの頃に行われたライヴの模様で、1977年にチェシントンで刊行されたファンジン(ファンが作る非公式な雑誌。同人誌のようなモノ。)「Kid’s Stuff(第8号)」に掲載された写真である。
スージー・アンド・ザ・バンシーズは、今日では1970年代と1980年代のイギリスの最も重要なロックバンドのひとつ、ポストパンクの先駆者として認知されており、ニューウェーブ、シンセポップ、ゴシックロック、オルタナティブミュージック、シューゲイザー、トリップホップなど多くのジャンルに影響を与え、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・キュアー、ザ・スミス、デペッシュ・モード、ソニック・ユース、キリング・ジョーク、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ジェフ・バックリィ、レディオヘッド、PJ ハーヴェイ、マッシヴ・アタック、トリッキー、LCDサウンドシステムなど、多くのバンドやミュージシャンに影響を与えた。特にギタリストの ジョン・マッギオーク(『カレイドスコープ』 (1980年)、『呪々』 (1981年)、『キス・イン・ザ・ドリームハウス』 (1982年)の各アルバムに参加)の評価が高く、ジ・エッジ(U2)、ジョニー・マー(ザ・スミス)、エド・オブライエン(レディオヘッド)、ビリー・コーガン (スマッシング・パンプキンズ)、ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)らが影響を受けたとされている。日本でも布袋寅泰やサカナクション、ブンブンサテライツ、オレンジ・レンジがスージーから影響を受けたと述べている。